「1999年から2002まで、柏レイソルで一緒に仕事をさせて頂きました。
私は韓国人選手の通訳。つまり、洪明甫(ホン・ミョンボ)、黄善洪(ファン・ソンホン)、柳想鉄(ユ・サンチョル)の通訳だったわけです。
通訳の仕事は十年を超えましたが、柏レイソルでの4年間は特に、毎日の日々が本当に緊張感があって充実していました。
99ナビスコ杯優勝、最終節までもつれ込んだ2000年のJリーグ優勝争い、語り出すと枚挙に遑はありません。
プロサッカーチームにおいて誇らしい成績・結果を与えてくれた、カッチーニョ・つまり加藤望選手をはじめとする各選手、スタッフに今でも感謝しています。あの頃の柏レイソルは1-0ならば勝てそう。2-0ならば間違いなく勝てる、という全ての選手が守備の意識の高い、派手ではないけれど強いチームだったと思います。
その守備的な戦いのなかで貴重な得点をカッチーニョは実に多くあげてくれました。
1999年の京都パープルサンガとの開幕戦は1-0で柏レイソルが勝ったのですが、この試合がその後、何年間の好成績をおさめる大きな契機になった、象徴的な試合だったと今でも思っています。押されながらも最後のところで堪え、虎の子の1点を守り抜いた。その決勝点を上げたのはやはりカッチーニョ、君でした。
今年は2007年。あのJリーグ1999開幕戦から8年の年月が過ぎました。ミョンボはすでに現役引退、今は韓国五輪代表のコーチをしています(8月末、会ってきました)。ソノンは2002年日韓ワールドカップの直後、現役を引退し、Kリーグの全南ドラゴンズというチームのコーチを4年間して、今年はイングランドで指導者の勉強をしています。
ミョンボと同じ年で、今、現役としてピッチに立ち、活躍していることは本当に素晴らしい。サッカーの神様が君のプレーはまだまだスタジアムにとって必要なのだ、と決めたのでしょう。
また、私がミョンボとスタートした通訳の出発点、湘南ベルマーレでプレーしているということも縁を感じます。
ところで、私は韓国人選手の通訳のをする前、私はカメラマンでした。君が大学生プレーヤーだった頃、撮った渾身の一枚がこれ。私にとってもお気に入りの写真です。いい、写真じゃないですか?」
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㈲タカ・マネージメント
取締役社長
高橋建登
元、柏レイソル、湘南ベルマーレ、横浜Fマリノスにて、韓国人選手の通訳を務める。



